ハリーポッターと不死鳥の騎士団 etc.

をやっと読み終わった。
読書するのは電車の中だけにしているし、火,水,木 は雑誌があるので、結構時間がかかってしまった。
面白かった。
ハリーも含め、完全なる善人はいないが・・・。
・・・ネタバレはマズイので、内容については触れないでおこう・・・ (^_^;)
後書きによると、一作目の「賢者の石」の4倍の量になっているらしい。
 
えー・・・ちょっとその世界観を見直した所で・・・3作目の「アズカバンの囚人」の映画について。(もうこれは書いても良いだろう。)
実は、小説では、当初3作だけで比較するなら、その3作目が一番好きだ。
だが、映画では、私の中で、その3作目が一番下になる。悪くはないのだが・・・。
それが何故か、考えてみた。
以前にも書いたが、あの映画では服装が変。
あの世界では、魔法使い達はローブを着ているか、マントを身につけているのが通常。それが彼らにとって普通の姿と思う。
マント姿をするのは、一部の大人で、マグルの世界にも多少関わる者とか(スネイプはマグルに関わる事は皆無なのにマント姿だが、何故そうするようになったかは5作目で判った気がする。)で、大半はローブ。特に未成年は。
だから、あの世界で、マグルの社会に行く訳でもない状況で、彼らが「マグルの服」を着ているのに違和感があったのだ。
また、ハーマイオニーのロンへのあの・・・・が・・・。
その辺、はっきり判ってくるのは本来4作目。だが、とにかく、彼女の性格上、あんなに素直に態度に示す訳がない。「秘密の部屋」でハーマイオニーがドラコに馬鹿にされた時、怒ったのはロンだ。ハリーでなく(ハリーは意味がよく分からなかったからでもあるが)。そして、自業自得とはいえ、その為にロンは傷ついた。自分の為に怒り、相手に立ち向かい、その結果傷ついたロンの姿を彼女は見た。それがきっかけだろう。そして、彼女は「石化」から回復した時、人前でも親友*1のハリーには抱きつき、ロンには恥ずかしがってそれをしなかった。この描写は良い演出だと思った。なのだが、3作目の映画は・・・。3作目ではハーマイオニーとロンは自分らの気持ちに気付いているかも怪しいのに。
シリウスとの別離のシーンもあっさりしすぎている。いくら映画の時間の問題があるとはいえ、暫く見つめ合うくらいの演出は欲しかった。
ラストは区切りとしてマグル社会に戻る形で終わらせて欲しかったのだがそれも・・・。
 
4作目「炎のゴブレット」の映画はまた監督が替わるとのこと。製作時期が3作目と重なった為にそうなったらしいが、そちらには新たに期待しよう。ただ、あれは前後編にでも分けないと辛いのではなかろうかとの不安があるが・・・。

*1:マグルの家庭で育っている魔法使いという共通点もある友人。とても親しいが恋愛感情はない。